リュックを背負って郵便局まで散歩する。
シャツの袖をすこし折って着ていたのだが、その格好がちょうどいいような、どこまでも歩いて行けるような、心地のいい温度。
でも、空腹すぎて目眩。
先日、琴子さんとお茶した喫茶店にはいって、パスタを注文する。ああ、これでやっと落ち着いた、本を読もうとと鞄を探したが、あるはずの本がない。
どうしてこんな時に限って。
ひとりで喫茶店にはいって、注文して、その料理が出てくるまで、本を読まないひとはなにをして過ごすのだろう。パスタが出てくるまでが途方もなく長いような気がした。
古書市をやっているので、四天王寺まで歩く。
たくさんの本が並ぶ。遠くから眺めるだけで疲れてしまって、近くで本を探す気になれなかった。そもそも、欲しい本はあるのか。
文庫を2冊だけ買うにとどまる。
須賀敦子『遠い朝の本たち』(ちくま文庫)
西脇順三郎『野原をゆく』(講談社文芸文庫)
一色文庫に寄る。「儲かってる?」と尋ねると、いつもなら「儲かってへんわ」とか言うのに、「えー、なにー?」と適当な感じでかわされるので、「なんや、こいつ」とおもったら、奥のほうに別にお客さんがいた。他にお客さんがいるときは、親しげに話すのはよくない、それをわかっている一色文庫はえらい。
現代詩文庫の松浦寿輝を買って、そそくさと店を出る。
どこまでも歩けそう、とおもったのに、結果、隣町までしか歩かなかった。
帰宅したら、手紙が届いていた。
「狭山公園の秋の贈り物です」と、トチの実とクヌギの実、コナラのどんぐりが同封されていた。
「机の上にでも置いてしばし眺めていただければ、この子たちも喜ぶでしょう」と書かれていて、樹木の実を「この子たち」と呼ぶのが、かわいいなあ、とおもった。
鉢で育てたら発芽して、大木になります。と最後に書いてあって、木を育てるなんて、わたしには無理ですよ。とおもいつつ、狭山公園の木を育てるじぶんを想像してみた。