2014年10月18日

10月17日(金)

朝、5時台に起きると、あたりはまだ暗い。朝がほんとうに短くなった。
珈琲を飲みながら、立原道造の「啞蟬の歌」を読む。三好達治に捧げられた詩だそうだ。
啞蟬。鳴かない蝉。
この夏、たくさんの蝉の声を聞いた。だけど、あの声は雄だけのものなのだ。鳴くこともなく、ひっそり命をおとしていく雌の蝉。いや、あんな風に激しく鳴く必要がないだけ、心穏やかななのかもしれない。

この詩はどの本に収められているのだろう。そんなことを考えていたら出勤の時間はすぐ訪れた。

退勤して図書館へ。
ことし、生誕100年だという立原道造の小さなフェアが展開されていた。その横では「三好達治と三好達治賞の詩人たち」というコーナーが。清水哲夫や高階杞一、長田弘などの詩集が並べられたいた。
この図書館に詩が好きなひとがいるんだろうか。今朝、わたしが考えていたことがどうしてわかったの。こころの中で矢継ぎ早に言葉がうまれる。棚を眺めながら小さな偶然がとてもうれしかった。
小さなコーナーにあった立原道造の全集をぱらぱら捲ったけれど、「啞蟬の歌」は見つからなかった。(わたしの見つけ方が甘い)かわりに『三好達治随筆集』を借りて帰る。

「私も来年は四十である。」という一文からはじまる「秋夜雑感」をいう文章を、秋の夜に読む。わたしも来年で四十になります、とおもいながら。

「全く生きているということは、考えてみると、偶然を幾重にも積重ねたーそうしてなお不断にそれを積重ねている、危っかしい建築物の危っかしい建築工事のような気持ちがするのである。かく我々の在るはただ主なる神の憐憫によってのみ。」(「秋夜雑感」三好達治『三好達治随筆集」より)

きょうあった小さな偶然をまたひとつ、ゆらゆらと積重ねる。

「大阪靭」という文章も読む。
三好達治は大阪の西区靭にあった小学校を出たという。わたしは数年前まで靭本町に住んでいた。(かのS団地は靭本町にある)
靭のあたりは乾物問屋が軒を並べていたそうだ。(二百戸にも近かったろうか、と書かれている)
靭本町にはいまや、そんな痕跡は全く残っていなかった。(とおもう)
あの町の、どのあたりにある小学校に通っていたんだろう。そんなことも知らずに、わたしはあの町で暮らしていた。