2014年5月24日

『ジョヴァンニ』

なんだか気持ちが沈む。新しい号を出すとだいたい決まってこうなる。次のことなど考えられない。
深刻なスランプに陥るのを恐れる。それを避けようとしてかの、ここ数日。エトセトラ。

木曜日
郵便受けに「読者カード」がきていて、気持ちがはなやぐが、ごうださんからとわかってがっかり。ただ、書いている内容が面白いので「座布団一枚」。原文ママで掲載してやるぞ!と脅そう。


金曜日の夜。
ごうださんと夕食。
阪急梅田で落ち合ったとき、ふたりとも眼鏡でリュックを背負っていて、並んで歩くことに抵抗を感じる。どう見ても怪しい。リュックのアラフォーなんて。くだらない話ばかりして、特になんのヒントも得ることができなかったけど、「くだらない」という感覚をおもいだす。

土曜日昼。
Mさんと富士正晴記念館へ行く。いま、記念館では「富士正晴が編集した久坂葉子の本たち」展Ⅱが開催中。
Mさんと中尾さんの文学談義に耳を傾ける。太田順三の話、富士さんの本に、函があるか、ないか、などの話。このひとたちは本当に「ブンガクが好き」なんだなあ。
そういう気持ちがたいせつだ。だれにどうおもわれるかなど気にしてるわたしは不純だ。


土曜日夕方。
阪神電車に乗って、「街の草」へ。
あいかわらず、店の前まで本の洪水。二号から三号への長いスランプに、街の草で『帖面』に出会う。その正方形の誌面をみたとき、なんか作れるかも、という気になったのだった。本の洪水を崩しながら、話す。
加納さんの声は、相変わらず、やさしい。
二十歳のころ、同級生の女の子に『ジョヴァンニ』を借りた思い出を話してくれた。
岩阪恵子第一詩集にして、ただ一冊の詩集。二十二歳の詩集。
文童社から出たその詩集はたしか、「自費出版だった」と随筆に書かれいてたと記憶している。
その同級生の女の子は、三月書房で『ジョヴァンニ』を買ったそうだ。
二十二歳の若い若い詩人の自費出版の詩集を、それほど年のかわらない女の子が三月書房で買う、そんな時代があったんだなあと、そうおもうと、暮れかけた空のした、こころのなかにあったへんな固まりが溶けていくようだった。

加納さんは投函していなかった手紙を、手渡してくれた。
七時を過ぎてもまだ明るい武庫川駅のホームで読む。寒い冬に『ジョヴァンニ』を借り、コンクリート打放しのサークル室で読んだ思い出はそこにも書かれいた。
加納さんは「その詩人が「七十年近くをなんとか生きてきた。」と書いている」ことを驚いているようだった。

岩阪恵子を加納さんが「詩人」と書いていることが泣けてしかたがなかった。
見たこともない『ジョヴァンニ』という詩集をおもう。
寒い冬に『ジョヴァンニ』を読んだ加納さんと若い若い詩人・岩阪恵子をおもう。
加納さんの思い出を、その声で聞けてよかった。街の草へ行ってよかった。